人生を振返ってみる
忘れたくても忘れられない記憶にイジメがあります。
約30年前の事ですが、今でも鮮明に記憶に残っています。
思春期の大切な時期、中学1年生から3年間、当時、『ヤンキー』と言われていた人達からイジメにあいました。
嫌がらせの数々
- 教科書に『死ね』『バカ』『アホ』『ブサイク』等、不快な言葉を書かれたり、落書きされたりする
- 教室や廊下、移動教室の黒板にも名前付きで嫌な言葉等を書かれる
- 体育の時間等、更衣室に置いているカバンを勝手に開けられたり、私物が盗まれたりする
- 体育の授業中、先生が見ていない時にはボールを使う時など、集中的に的にされ悪意をもって狙われる
- 移動教室から自分の席に戻ると、机の中にいかがわしい本が見開きで置かれている
- イスの上に画鋲が置かれている
- トイレに入ると、上から水をかけられる
- クラスメイトで、ヤンキーから自分に標的が移りたくない人は、私に話しかけてこないでオーラや、目も合わせようともしない
- 教室の後ろからワザと聞こえるように文句を言ってくる
- 『お前が泣かないのなら、次はお前の友達を攻撃する』と言って脅してくる
数々のイジメは当然、先生の目が行き届かない所で行われていました。
いろんな嫌な事を言われたり、嫌がらせもありましたが、それでも当時の私は心折れる事なく過ごす事が出来ました。
なぜ、イジメにあっても心が折れなかったのか?
イジメにあいながらも中学生の時の私の心は強かった。
何故か?考えてみました。
時代もあるかと思いますが、今みたいにスマホもないアナログ時代です。
私に対するイジメは陰湿なイジメではなく、直接攻撃型のイジメでした。
答えとして浮かんだのは、
だから嫌な事もスルー出来たのです。
素敵なお友達と出会えた事に感謝です。ありがとう(^^♪
当時の私、スゴイ!!と思います。数々の嫌がらせにあいながらも毎日普通に学校に通って、学校生活を楽しく過ごしていたのですから。
だけど、決してイジメの首謀者を忘れていないし、やられた数々の事もはっきりと覚えています。
そして、その当時、仲良くしてくれていた友達たちの事も。
どうして、私はイジメにあったのか?
中学2年生になったある日、イジメがエスカレートしてきた為か、とうとう先生達の間でも問題になったらしく、担任に呼び出さてしまいました。
話し合いをする事になりました。
イジメの対象になっている私と友達、代表格のいじめっ子2人、先生、5人での話し合いとなりました。
正直、話合いなんてしたくなかったし、面倒くさいと思っていました。
話合いの結果、
イジメている人の言い分として、
- 毎日楽しそうにしている私たちの姿を見ていると、イライラするし、しゃくにさわる。
- クラスで自分たちがのけ者にされているようにかんじる。その首謀者がお前だ!!
- なんで、可愛くもないお前みたいなやつに友達もいて、みんなチヤホヤするんだ!!
- 自分達の言う事も全然聞かず、毎日みているだけでイライラする
- 先輩にも脅えず、廊下で会った時なども無視している態度が気に食わない
- 先生達からも好意的にされているのがムカつく
まぁいろいろ言いたい放題言われました。
他の理由として、隠しながらオブラートに言っていましたが、当時ヤンキー達はいろんな生徒に金銭せびりをしてたが、脅しても怖がらず、私がキッパリ断った事もしゃくにさわるとの事でした。
私の言い分
- のけ者にしているつもりもないし、ただ普通に気の合う仲間と楽しんでいるだけ
- 一方的にただ嫌っているだけでは?
- 先輩の件に関しては、ただ単に気付いていないだけ、そもそも他の部活の先輩等覚えてもいないし、挨拶は気付い人から行えばいいのでは?
- 私の事がそんなに嫌いなら関わり合わなければいいのに…
話合いの後、なんでこんなに一方的に悪口ばっかり言われないといけないのか理解できませんでした。
勝手にトラブルに巻き込まないでほしいとの悔しい思いや、いろんな感情の変化もありダッーと涙が溢れてきていました。
その後、どうなったのか?
予想通り、残念ながらイジメは益々エスカレート⤴︎
先生がいない時に、廊下でイジメっ子集団に囲まれて
『後で体育館の裏に来い!!』
高圧的な物言いや、散々嫌味を言われ続けてイラっとした私は、
『行かない!!なんでそんな命令に従わないといけないか分からないし、言いたい事があるなら、今、この場で言えば!!』
と、私も語気を強め反抗する。
その時の気持ちとしては、
私からは絶対に手は出さないが、万が一相手から手を出してきた場合は、こちらだって一方的にやられたくないし、戦ってやる!!と、戦闘態勢でいました。
絶対来い!!行かない!!と、揉めている所に先生現れ、この場は終了となりました。
この件を含め、今まで私の中では、どうでもいい人(失礼だが)から、格下げされ、嫌いな人になったのは言うまでもありません。
もう同じ空間に居る事すら嫌になり、視界にも入れたくないし、話もしたくない。私からもあからさまにイヤイヤモードを出し始めました。
なぜ、そんなに私の事を支配下に置きたいのかも解らないし、関わりたくない、もうほっといてほしいと思っていました。
嫌われる勇気
今、考えてみたら、あの超有名な本『嫌われる勇気』を中学生時代の私は、実践、実行していたのかな?
自分の生きたい道を選んでいたのです。
『2:6:2の法則』と言われているのがありますよね。
- 2割の人は自分の事を好意的に思ってくれる人
- 6割の人はどっちでもない人
- 2割の人は自分に敵意をもっている人
自分の周りにいるどうでもいい8割の人に重点を置くのではなく、自分の事を好意にしてくれる2割の人に焦点をおき、大切にする。
人間が一番ストレスを感じるのは、人間関係だと言われています。それに人生で幸福感を得られるのも一番は人間関係。
どんなにお金を持っていても人間関係が良好じゃなければ、幸せを感じる事は出来ないのです。
集団の力は大きいし、抗えない要素がある
イジメっ子も集団に属していない一人の時にはイジメてきませんでした
集団の力って大きいです
『赤信号、みんなで渡れば怖くない』
という言葉もあるように、みんなと同じなら安心という集団心理が影響するのでしょうか?
お互いに責任転嫁をして、自分の行いの問題責任を逃れようとしているだけでは?
思春期で心が不安定で、誰かと繋がっているという安心感や安堵もあり、ターゲットを定めて、日々の不満やイライラをぶつけ、自己満足を得るのは簡単だが、ターゲットにされた人はたまったものではありません。
ずっとその事を覚えているんです。
その後の人生が変わる人だっているんです。
人それぞれ生まれ育ったいろんな背景がありますが、やっていい事、ダメな事ぐらいの判断力は最低限身につけておいてほしい生活能力です。
イジメた人は、今、親になって、自分の子供がイジメにあったら、当時の自分の行いについてどう思い、どう感じるのだろうか?
自分の行い、覚えていますか?記憶、美化されていませんか?
一瞬の過ちが、その後の他人の人生を変える事もあるので、少し立ち止まり、この行動は正しいのか、周りに流されず、自分の意志で考えてほしいです。
集団意識はこわい。自分が嫌だと感じていても、仲間外れにされたくないから同調してるフリをしたりします。
一度深呼吸して深く考え、自分の信じる道を歩みませんか?その判断は後悔しない選択ですか?自分自身にウソをついていませんか?心が苦しくありませんか?
中学3年生になった時の異変
中学2年生までいつも一緒に遊び、共に楽しい日々をすごした仲良しの女の子がいました。
あの日、代表格のイジメっ子2人との話し合いの場にも居たその大切な友達は、中学3年生になっても同じクラスになりました。
大好きな人だったのでとても嬉しかったのですが・・・
ただ、3年生になったら、私とは一切会話せず、まるで性格が変わったかのように、
私から距離をとり、別の人と毎日一緒に過ごすようになりました。
突然、なぜ???
私の中に戸惑いや疑問でいっぱいになりました。
彼女はとても優しい性格だったので、他者の言いなりになっているように感じてしまいました。
これ以上私と一緒に行動する事で、イジメがさらに酷くなるのが怖かったのかもしれません。もしかしたら、何か圧力がかかった?
答えなんてわかりません。
これは彼女が自分で選んだ道。私と一緒にいる事でマイナスになるのなら離れるのは正しい選択だと思います。
私が以前のように話そうとしても、聞かないふりや、あからさまな無視をするので、私もこれ以上彼女には関わらず距離を置きました。これがその時の私が下した選択です。
あんなに仲良くしていたのに、手のひらをクルッと簡単にひっくり返すように、過去の友情があっさり消えてしまった事が悲しくもあり、人間関係の厳しさや人の感情の変化について勉強になった出来事でした。
信頼ってなんだろう?友情ってなんだろう?どうして心変わりしたの?私が何かしてしまった?私の態度が悪かった?いろいろな疑問がありましたが、その当時はこれ以上深く考える事はしませんでした。
ほぼクラスメイトから無視されていた私にも、ありがたい事に、こんな私の事を大切にしてくれる友達も数人新たに出来て、違うクラスにも仲良しの友達はいたので、中学3年生の生活もいろいろ嫌な事はありましたが、それを打ち消せるくらいの楽しい事もたくさんある生活でした。
卒業式間際の出来事、そして成人式
卒業間際になると、友達同士でお互いに記入し合う交換カードみたいなものが流行っていました。
私も数人のお友達と交換しながら書いていました。
そして、突然私の所に、2年生まで仲良くしていて、3年生になったら一切会話をしなくなったあの彼女から、卒業の交換カードを私にも書いてほしいと言ってきたのです。
正直言って、ビックリしたのと、戸惑いでいっぱいでした。ですが、もともと大好きだった友達ですから、ありがとうの気持ちを込めて、記入して渡しました。
一連のやり取りから、ああ、やっぱり彼女は心優しいままの人だなぁと感じました。
卒業後、彼女に会う事はなかったのですが、20歳の成人式間際に連絡が来て、一緒にパーティー会場に行きたいと誘われました。
私は、すでにちがう友達と一緒に行く約束はあったのですが、なんだか彼女の事がほっとけず、みんなで一緒に行く事にしました。久しぶりの再会で、楽しいひと時を過ごす事が出来ました。
それ以降、彼女に会う機会はなくなりましたが、どこかで今でも幸せに暮らしている事を願います。
なぜ今更、過去の事を伝えようと思ったのか
過去からたくさんの学びがあったからです。
イジメられていた事について、今まで赤裸々に語った事はありません。
この経験を誰にも伝えず、1人で抱え続けて良いのか?経験を語る事によって、救われる人がいるのでは?そんな思いがありました。
過去については、触れられたくない。でも、知ってほしいという相反する気持ちもあります。
でも過去より現在を大切にしたいのと、前向きに歩み続けたい気持ちから行動にうつす事にしました。
いろいろな経験を積み重ねて今の自分がある
ブログで発信できる場があるのだから、自分の隠していた気持ちも伝えようと
言葉にしないと伝わらない事も多いですから
自分の人生経験を誰かに知ってもらい、何かを感じてもらいたかったのです。
自分自身にもたくさんの気付きがありました。
誰しも人を傷付け、傷付けられた経験があると思います。
私も人を傷付けてしまった事があります。忘れてしまいたいけど、忘れられません。謝りたい気持ちを抱えたままです。なかった過去にしてほしいとも思ってしまいます。
完璧な人なんていません。これが私の人生、全てを抱えて生き続ける事が大切だと感じます。
後悔しているのなら、過去の失敗の反省を活かし、これからどうするのかが重要だと思います。
いろいろある人生だから、今を大切に生きてほしい!!
今、辛い、苦しいと感じているのなら、休憩して、心も身体も充電しましょう♪
何か他人に言われても聞き流し、とりあえず今は自分の事だけを考える時間を大切にしましょう♪
何も考えず、ボーっとゆっくり生きる時間も必要な大切な時間だと思いますよ。
時間という自然のお薬を活用しましょう♪
今は自分を守る事を最優先に!!
中には、予定つめつめで、忙しくする方が、考える時間さえなく、現実逃避出来る人もいるでしょう。人それぞれ、自分に合う方法で生きやすい生活にシフトしてみてはどうでしょうか?
考え方ひとつで世界が変わりますよ!!
新しい視点を発見しましょう♪
自分の居場所見つかるといいですね(*^-^*)
私の経験&気持ちを発信する事で救われる人がいるのなら嬉しい限りです。
人から傷付けられるけど、人は癒してもくれます。
生きている限り人間関係は必須になります。
私からの願い『必死に生きる』
『必ず死ぬ』かならずしぬと書いて、
『必死』ひっし
生き続けるとは真逆の言葉。
みんないつかは必ず死にます。
だから今を必死に生きるのです
『必死に生きる』
私の好きな言葉です。
今まで生きてきた私の人生で、何度か死に直面したり、死を意識した事があります。
★大好きな彼から突然言われ、失恋したあの日。
どうでもいい人からの攻撃には強く、心も乱れなかった私でしたが、信頼する大好きな人からの拒絶反応には、心が簡単に折れてしまいました。
もともとヒビだらけの不安定な心なんて、いとも簡単に崩壊するのです。
生きる気力をなくし、現実を受け入られず、自死を選びました。もう何も考えたくなかった…誰も信じられなかった…
運良く助かり、なぜ自分はまだ生きているのか深く考えるようになりました。
たくさん泣いて、たくさん苦しみながらも考え続けました。
そして、こんな悲しい気持ちのまま死ぬのは嫌だと気付きました。
人生をやり直したいと。
★知らない男から急に階段から突き落とされる
何が起こったか訳がわからず、落ちている瞬間から走馬灯のように時間間隔がゆっくりと流れ、私、もしかしてこのまま死ぬのかなと思ってしまいました。全身打撲したものの命に危険はありませんでした。
★不妊治療で終わりが見えずに全てから逃げ出したかったあの日
辛さのあまり、もう人生を終わりにしたかった。
子供が当たり前にいる幸せそうな友達家族を見る事が苦しかった。
どんどん醜い心が広がっていくのが嫌だった。
でもやっぱり諦めきれない。まだもう少しだけ頑張りたい。未来に希望を持ちたい。
気分の起伏に振り回されながらも自分に出来る事をこなしていました。
★病気になり入院し、病状がどんどん悪くなっていったあの日
小さな我が子を残してなんて絶対死ねない。大きく成長する姿をみたい。まだまだ母親をしたい!!
★低血糖で身体が徐々に動かなくなり、意識喪失してしまったあの時
嫌だ‼︎まだ死にたくない。お家に帰りたい‼健康に戻りたい‼︎
★手術直前の不安な気持ちの時
過去に入院8回、手術5回しました。
万が一手術が失敗したら、もうこれで私の人生終わりになるんだな。と、ネガティブ思考になる時もありました。
死に直面した時、私が強く思った事は、
今はまだ死ねない!!
やりたい事がまだあるから!!
25歳のあの日、孤独感が心を埋め尽くし、暗闇ばかりで自死を選び、絶望感しかなかった。未来なんて全く想像できなかった。何のために生きているのか分からなかった。
だけど、あの日からの未来が今である!!
あの時、思い描く事が出来なかった未来の楽しい今がある。
死なずにいたから手にする事が出来た今だ!!
負の感情と向かい合い、現実を受け止め、気付きを得て、ただ前に歩み続けました。
もちろん楽しみだけでなく、辛さ、悲しさ、苦しみもあるけれど、今、言える事は、
生きていて良かった
未来なんて何があるかわかりません。
苦しみがずーっと続く事はないと信じ、今を自分らしく、生きやすく過ごして、これからどんな自分に変化し、どんな未来を築いていくのか、少しだけ楽しみに感じてもいいのではないでしょうか?
もし、今、生きる気力を失ってしまったのなら、とりあえず、今日だけ、明日まで、3か月後まで、あと1年だけ…と、命の期限を延長して少し先の未来を経験してみませんか?
生きていると、信じていた大切な人からの裏切り行為もあり、心に修復不可能な大きな穴が空いてしまう事もあります。その穴を埋めながら、辛さに抗いながらも痛みと共に生きた先に、いったい何があるのか見てみたいと思いませんか?
過去と他人は変えられないけど、未来と自分は変える事が出来る
今の自分を変えたいと思うのであれば、勇気を出して、少し行動してみましょう。何か気付きを得られるかもしれませんよ(*^^*)
人生は練習なんてなく、いつでも本番、1回きりなんです。
私は、生きる決意をした時に、まずは環境を変えたくて、結婚資金にと貯めていたお金を使い、引っ越しをして一人暮らしを始めました。新しい食器や家具を選ぶのがとても楽しかったです。
現実逃避で、夢の世界のディズニーランドにも1人旅をしたりと、自分だけの為にバーッと貯めていたお金を使い、気持ちが少し軽くなった記憶があります。
未練や執着心を全て断ち切りたかったので行動に移しました。
それに楽しい!!って気持ちも思い出し、人生を引き続き歩んでいく勇気にもなりました。
辛かった時は引きこもり、誰とも会わずにいた期間もあります。
うつむいてばっかりでした。
上を見ると、空が無限に広がって、青くキレイで、自分のちっぽけな心ってなんだろうって無心になる事が出来る事も忘れていました。
過去の楽しかった思い出の写真を眺め、もうどんなにあがいてもこの頃には戻れない、気持ちを整理する為に、全て破いて処分しました。思い出は心の中の箱に詰める事にしました。
いつ死んでもいいように、たくさんの物も断捨離しました。
結果、スッキリしたし、なんだか人生が再び上手く動き始めた気がしました。
私は自分を変えたかった。
自分を好きになりたかった。
自分の事を好きになってもらいたかった。
役に立つ人になりたかった。
自分の居場所が欲しかった…
道を間違えないように
これからも必死に生きます。
今、悩んでいる人の苦しみを解消できるヒントが1つだけでも見つかる事を願います。
生きていて良かったと思える日がきますように!!
今もこれから未来も、ワクワクドキドキ、トキメキあふれる日がたくさんありますように!(^^)!
何気ない普通の日常に感謝する心を忘れないように、小さな幸せを積み重ねて、大きな幸せに出来るように^ ^
心がぽかぽかする日が過ごせますように♪
今日もステキな1日になりますように(^^♪
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